家では平気で喋るのに、学校では異常に静かな子・全く喋らない子に会ったことはありますか?
もしくは自分がそうだったor現在もそうだ。
自分の家族、友人、子供がそうだという人はいますか?
もしかしたらそれは場面緘黙症かも知れません。
《人見知りな性格だから…》、《恥ずかしがり屋だから…》と片付けずに、こんな症状もあるんだということを知っていただきたく今回記事にしました。
私も小学校の間は場面緘黙症だったので、ここでは当事者だった自分の経験について書いていきたいと思います。
場面緘黙症とは?
簡単に説明すると《家庭や家族の前では話すことが出来るのに、学校や職場等特定の状況・場所で話すことが出来なくなる症状》です。
身体的機能に問題は無く、言葉を話す能力は備わっていますが「話したい、話さなきゃ」と思っていても話すことが出来ません。
なので、本人の意思で話さないことを選択している訳ではありません。
また、言葉だけでなく表情や身振り手振りで感情を上手く表すことが出来なくなります。
一般的に5歳までに発症し、家族以外のコミュニティーと関りを持ち始める幼児期~小学校低学年頃に気付かれることが多いです。
普通の人見知りと違うところは、特定の状況・場所では1~2年以上経っても話すことが出来ないという点です。
原因は?
場面緘黙症の子供の多くは、先天的に不安になりがちな傾向がある[2]。また、内向的な性格であることが多く、これは脳の扁桃体と呼ばれる領域が過剰に刺激されることによると考えられている[要出典]。この領域は、脅威の兆候を感知すると「戦うか逃げるか反応 (fight-or-flight response)」を引き起こす。場面緘黙症の原因が虐待・ネグレクト・心的外傷によるものであるとは限らない。場面緘黙症の子供は、全く話すことができない状態に症状が進行するケースもあり得るが、ほとんどの場合、場面によっては話すことができる。一方、心的外傷による緘黙は、通常、突然あらゆる場面で話すことができなくなる。
両親の母語が異なる子供や、言語の異なる外国に暮らす子供、幼少期に外国語にさらされた子供は、話すことが要求された言語について自信を失ってしまうことがある。いずれの場合も子供は内向的な性格を示すが、このような言葉の問題によるストレスは、子供を緘黙にしてしまうのに十分な不安の原因となる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』場面緘黙症
子ども時代はどうだったか
ここからは私が場面緘黙症だった当時考えていた事と具体的にどんな子供だったのかについて書いていきます。
場面緘黙症を知らずに苦しんでいる人やこの症状を持つ人に対してどう接したら良いかわからない人へのヒントになればいいかなと思います。
幼少期
とても不思議なんですが、自宅や友達の家では何の苦も無く喋ったり笑ったりして遊んでいられるのに、そこから出ると言葉が出なくなってしまっていました。
感覚的には、喋ろうとしても喉がきゅっと絞られて言葉が出ない感じです。
毎日そんな感じで過ごしているので、自分は何故喋れないんだろう?とか思ったことはあまりありませんでした。
ただ緊張しているからこうなるだけ、喋っている姿を見られるのが怖いんだもん…と思っていました。
当時仲の良い友達と一緒に登下校していましたが、家から出て帰って来るまでは無言でした。
それでもその友達は普通に付き合ってくれて、私に色々話しかけてくれていました。
家に帰ればその子とも喋れるのですが、登下校中は無理なので頷くか首を横に振るかで意思疎通していました。
今考えたら、よく無言の自分と一緒にいてくれたもんだな…と思います。感謝です。
喋るだけでなく、表情を出すのも出来ず
緘黙というと話すことが出来なくなるだけというイメージかもしれませんが、私は表情で喜怒哀楽を表すのが怖くて出来ませんでした。
嫌なことをされた時も怒ったり泣いたり出来ないので、無表情・無言状態でした。
心の中では「私はこんなにこんなに嫌なのに!」と怒っていました。
また、笑っている姿を見られるのも怖くて、クラスメイトが面白いことを言った時は笑わないように一生懸命耐えていました。
とにかく注目されるのが嫌で、必死に目立たないようにしていました。
黙りこくってノーリアクションの方が逆に目立つのに、そのことに気付けてなかったのです。
その後の学校生活。小学校~高校まで
今では初対面の人とも会話が出来る私ですが、いきなりそうなった訳ではありません。成長するにつれて段々と場面緘黙の症状が出なくなっていったので、ここではその過程を書いていこうと思います。
小学生時代
小学校に入学してから暫く喋れなかった私ですが、高学年になる頃には仲の良い友達数人となら学校にいる時も喋れるようになっていました。
それでも、家にいる時と比べると圧倒的に喋らない子供だったので、友達からは二重人格と言われていました。
結局卒業するまで友達以外とは喋らないまま過ごしました。
中学生時代
中学校入学後もこの状態は変わりませんでした。
症状は軽くなっているものの他人と喋るのは苦手なままで、部活に入っても先輩と全く会話が出来ず、馴染めないまま1年で辞めてしまいました。
他の人達は新しい環境で、新しいコミュニティをどんどん拡げていきましたが、私はそれが出来ず段々と孤立していきました。
私はイラストを描くのが好きだったので同じ趣味の人と話す機会は少しありましたが、友達と呼べるような存在は居なくなっていました。
3年間の内、2年半くらいは誰とも喋らない学校生活だったと思います。
高校時代
特に思い出の無いまま中学校生活を終えてしまったので、高校に入る時は「これからは絶対に喋るぞ」と決意して臨みました。
最初は緊張しましたが、喋ってみると驚かれることも無く、高校生活は趣味の合う友人達と過ごすことが出来ました。
中学校の知り合いがほとんど居なかったのが良かったのかも知れません。
ただ、これまでまともにコミュニケーションを取って来なかったので、人間関係にはめちゃくちゃ疲れました。
それでも勇気を持って喋って良かったな、と思います。黙ったままでは絶対に得られなかった経験なので。
学校でつらかった事
学校に行くようになると、つらい事の一つや二つは誰にでもあると思います。
私も場面緘黙症でつらい思いをした経験があるので、幾つか書きたいと思います。
場面緘黙症の人にどう接したら良いかわからない人にも参考になれば良いです。
喋ることを強制されること
先生から「ちゃんと発言しなさい」とか「もっと大きい声で言いなさい」と注意されるのがとても嫌でした。
先生は私の将来を案じてそう言ったのかも知れませんが、出来ない事や不得意な事を責められると委縮して更に出来なくなるので、正直逆効果です。
私の体験からくる意見ですが、もし場面緘黙症の子供に喋らせたいと思うなら安心出来る環境を作るのがベストです。
しかし、それは恐らく不可能なので、一番良い方法は放っておくことです。
「そんな事したら益々喋らなくなるんじゃないの?」って思うかも知れませんが、そんな心配は無用です。
場面緘黙症の人は「喋りたい」、「喋っても大丈夫」と思えれば放っておいても喋りだします。
他人からするともどかしいでしょうが、そこが安心できる環境かを判断するのは当事者です。ぐっと堪えましょう。
なんで喋らないの?という質問
この質問の答えなんですが、ぶっちゃけ理由なんてありません。
わざと黙っているわけでは無く、体が自然とそうなるという感じです。
無視しているつもりは無いですし、悪気があってやっているわけでもないので、あんまり怒らないで欲しいんだけどなぁ…と思っていました。
普通の人でも「なんでそんな顔なの?」とか「なんでそんな声なの?」って聞かれても困っちゃいますよね。
勇気を振り絞って声を出した時、周囲から「喋った!?!?」というリアクションが返って来る
わかりますけどね、こういうリアクションが返ってくるのも。
ただ、必要以上に驚かれたり注目されると「あぁ、やっぱり喋らなければ良かった…」と思ってしまい、次喋る時のハードルが更に上がってしまいます。
なので、理想はノーリアクションです。お願いだから注目しないで下さい。それがプレッシャーなんです。
発表の時間
小学校では作文や自由研究の発表が毎年あってめちゃくちゃ苦痛でした。
喋らない限り終わらないので頑張りますが、自分が喋っているところを見られるのが本当に嫌なので、物凄く声が小さくなります。
そうなると周りも気を遣って静まり返り、余計喋りずらい状況に・・・。
私の事は無視してぎゃーぎゃー騒いでくれれば良いのにって思っていました。
克服出来たきっかけ
これは私の体験からですが、克服のきっかけになった事が2つあります。
・「私も皆と楽しく喋りたい、思っていることを伝えたい」という気持ち。
・「色んな人と喋るのって楽しい」という体験。
この2つが揃った時に自然と症状が消えていました。
私にとっては高校入学がそのタイミングでした。周りの人間関係がガラっと変わって、喋っても驚かれないのが良かったのだと思います。
1度喋るとハードルはどんどん下がっていき、すぐに笑うことも出来るようになりました。
こういう経験が積み重なっていくうちに、自然と場面緘黙の症状は消えていきました。
まとめ
場面緘黙症の存在を知らずに、苦しんでいる人は多いと思います。
私も成人して暫く経つまで、自分の性格の問題だと思っていました。
場面緘黙症を知るきっかけになったのはテレビ番組の特集で、そこで自分と同じ人が居ることにホッとしたのを覚えています。
無理やり克服する必要は全くないと思うので、マイペースに生きやすい様な環境を選ぶのが一番かな、と思います。